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カフェレーサーについて

History

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフェレーサーの歴史について勉強しました。海外のサイトに掲載されてる英文を頼りない英語力で苦労して解読したものですが、「カフェレーサー」とは蔑称だったらしいです。レーシングスタイルの車体と身なりで公道を走り回り、お酒を飲むわけにはいかず喫茶店でコーヒーだか紅茶を飲みにたむろする若者を見て運送トラックのドライバーたちが彼らを嘲笑するのに用いた呼称だとあります。

つまり、レーシングスタイルのくせしてサーキットで勝負するわけでもない、喫茶店に立ち寄って単車でお遊びをするおめでたい連中を「偽物のレーサー」と称する意図で「カフェ」の「レーサー」と呼んだらしいです。

 

警察車両の性能の貧弱さもあってか交通の取り締まりを振り切って暴走に明け暮れる彼らは「ロッカー」と「モッズ」に分かれて抗争を繰り返していて、その喧嘩はかなり深刻だったとか。産業革命の流れでできあがった労働者階級達のスラムで育った不良たちの抗争がそのまま戦後まで持ち越された感じです。ある軍人がそんな不良たちを教育して更生させようとはじめたボーイスカウトの運動と同じように、暴走と喧嘩と死亡事故を繰り返すカフェレーサーたちを更生させようと立ち上がった神父さんがいたらしいです。ビル・シェアゴールド神父(Father Bill Shergold)という人物です。いろいろと事前行為に参道させたことで次第にカフェレーサー達の社会的認知も向上したみたいです。

 

カフェレーサーの間でもてはやされたのが、時速100マイルを「トン」と言って、その領域のスピードを目指すことが賞賛されました。「ドゥーザトン」「オーバーザトン」それを遂げた人物を「トンアップマン」だとかの称号で読んだらしい。

ちなみに、ジュークボックスで音楽をかけてからマシンをスタートさせ、曲が終わりきるまでに帰ってくるのは単なるお遊びで、今に伝えられてるほど熱心ではなかったと書いてある印象です。メディアの誇張だとか。

カフェレーサー時代のカフェは運送トラックの運転手が休憩に立ち寄るドライブインみたいなもので、主要な道路のいろんなところにあったもので、今現在のカフェレーサー文化の中心であるマーク・ウィルスモアのお店もその一つだったんですね。

 

つたない英語力で読んでからこんなこと書きましたが、あとで読み返してから訂正箇所がありしだい修正します。

読んでくださってありがとうございました!

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